究極の同一性とは
絶えず反復しかない
それは人間が認識できる反復ではなく、形状記憶されていく。
人は自らが足りないものを求めている。
それは、自らでは事足りないことである
時間であり、性別であり、知識であり、魅力である。
失われたことなど一つも何のにもかかわらず、人は失われたと思ってしまう。
それは時に残酷に、現実なものとして現象化することもある。
思い方の変化を起こすべきだというけれど、
それはあながち間違っていないのかもしれない
しかし、環境の奴隷となり、その環境の中で思い方を変化しようとしても
無理な話だ。
ガラスで出来た花を生きた花に変えるほど無理である。
しかし、人間はそんな思い方の変化を起こそうとする。
同じものを反復し続けることは、そういうことである。
圧倒的格差、圧倒的差異から全てを俯瞰してみて、方向性を決め、その方向性に向けて進み続けること。
闘い続けるのだ。真の戦いとはそのことである。
それは絶えず、反復していくのが大事である。
差異なき差異から反復し続ける。
究極の同一性から全てをみること。
それが大事である。